韓国史劇

韓国ドラマ時代劇観る順番!解りにくい朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代を徹底解説

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このページでは、韓ドラ時代劇の時代背景としてよく使われる朝鮮王朝(李氏朝鮮)について解説をしていきます。 朝鮮王朝は、500年も続いたため時代劇が多く生まれています。 他国の歴史なので解りにくいですよねー。 そんな方のために高麗時代末期1388年~朝鮮建国初期の解説をしていきます。 次に、前期、そして中期、末期と続けてご紹介していきます。 それでは、最初に朝鮮王朝の歴代王様をご紹介します。 ここではただ名前を並べているだけですが、1人1人に壮大な物語があります。 朝鮮王朝第10代王、燕山君「ヨンサングン」と朝鮮王朝第15代王、光海君(在位1608年~1623年) は、暴君として記憶されたので、王が死亡した後に捧げられる名前はありません。 光海君は本当に暴君だったかどうかは、Amazonプライム配信中の「王になった男」で描かれています。 それでは、第26代までご紹介して行きます! 初代は、太祖「テソ、ワンゴン」(李成桂(イ・ソンゲ)、1393-1398) 定宗「チョンジョン、李芳果(イ・バングァ)」(李曔、1399-1400) 太宗「テジョ」(李芳遠(イ・バンウォン)、1401-1418) 世宗「セジョン」(李祹、1418-1450) 文宗「ムンジョン」(李珦、1450-1452) 端宗「タンジョン」(李弘暐、1452-1455) 世祖「セジョ」(李、1455-1468) 睿宗「イェジョン」(李晄、1468-1469) 成宗「ソンジョン」(李娎、1469-1494) 燕山君「ヨンサングン」(李㦕、1494-1506) 中宗「チュンジョン」(李懌、1506-1545) 仁宗「インジョン」(李、1545-1545) 明宗「ミョンジョン」(李、1545-1567) 宣祖「ソンジョ」(李昖、1567-1608) 光海君「クァンヘグン」(李琿、1608-1623) 仁祖「インジョ」(李倧、1623-1649) 孝宗(李淏、1649-1659) 顕宗(李、1659-1674) 粛宗「スクチョン」(李焞、1674-1720) 景宗「キョンジョン」(李昀、1720-1724) 英祖「ヨンジョ」(李昑、1724-1776) 正祖「チョンジョ」(李祘、1776-1800) 純祖「スンジョ」(李玜、1800-1834) 憲宗「ホンジョン」(李烉、1834-1849) 哲宗「チョルチョン」(李昪、1849-1863) 高宗「コジョン」(李㷩、1863-1897) それでは、建国の初期からまいりましょー。

高麗時代末期1388年から朝鮮建国の初期

朝鮮王朝は、1392年から1910年の約500年も続いた王朝です。 前王朝“高麗”の一武将の李成桂(イ・ソンゲ)がクーデター(威化島回軍)を起こして王位に就いて建てた王朝。 李成桂の読み方は、ハングルでは이성계〈イ・ソンゲ〉、太祖 康献大王です。 在位は1392年から1398年。 李氏朝鮮の始祖であり初代国王となります。 高麗滅亡のきっかけは、高麗第三十二代国王王禑(ワン・ウ)と崔瑩(チェ・ヨン)による、遼東地域を支配下に置くことで明の圧力を退ける計画でした。 崔瑩(チェ・ヨン)は、高麗末期の重臣、名将。 右軍都総使、李成桂率いる遠征軍は、1388年5月、鴨緑江(アムノッカン)河口の威化島(ウィファド)に到達しました。 遼東征伐反対!威化島回軍大作戦!「六龍が飛ぶ」第26-30話あらすじ&場面写真、予告動画-BSフジ - ナビコン・ニュース 引用:六龍が飛ぶ 大雨による増水で河を渡ることが出来ず、日が経つにつれて逃亡する兵士が後を絶ちません。 食糧の補給も難しくなり、このような状況を理由に李成桂は撤退を要求しました。 しかし、認められなかったため、李成桂は独自に撤退を開始(威化島回軍)六龍が飛ぶ 単語復習する 17話 | 항아리 hangari はんあり 引用:六龍が飛ぶ 回軍を聞いて遠方から2000名以上が李成桂を助けるべく馳せ参じました。 また民衆も回軍を歓迎し、李成桂に希望を持つ歌が流行るほどでした。 一方の高麗朝廷は既に民から見放されており、回軍の報せを受けた崔瑩が抵抗軍を組織しようとしましたが集まる者は殆どいなかったとのことです 6月1日に開京に着いた李成桂は、王禑(ワン・ウ)に遠征の責任を問い、崔瑩(チェ・ヨン)の処罰を要求しました。 しかし、王は李成桂らを反逆者として、彼らを殺したものに褒賞を与えるという触書を出したのです。 李成桂は交渉を諦めて王宮を攻め崔瑩を捕虜としました。 崔瑩は処刑されずに遠方に流され(二か月後に処刑)、王禑(ワン・ウ)は王の地位を失わずにすみます。 しかし、権力を失い名ばかりのものに。 王は王権を取り戻すべく、内侍80名に李成桂らの私邸を襲わせたが失敗して追放され、子の王昌が曹敏修(チョ・ミンス)らに擁立されて王位に就きました。 李成桂らに擁立された恭譲王(キョウビンオウ)に1389年、王位を奪われ、王昌と王は処刑されてしまいます。 恭譲王も朝鮮王朝樹立の2年後の1394年には李成桂の命令で処刑。 李成桂自身は王氏一族を内地に復帰させて自由に暮らすのを認めようとしていましたが、臣下達の強い要請によって処刑せざるを得なかったとされています。 このとき李成桂により王氏(高麗王家)一族の皆殺しも行なわれました。 政治の実権を握った李成桂、鄭道伝(チョン・ドジョン)、趙浚(チョ・ジュン)らは親元的な特権階級や、権力と結びつき腐敗した仏教勢力が私有地を拡大したために国庫が尽きている現状を痛烈に批判。 1390年から田制改革を強行しました。 李成桂は、八男の李芳碩(神徳王后康氏の子)に後を継がせようとし、神懿王后韓氏(シヌィワンフ・ハンシ)を後宮(側室)にしました。 やがて李芳碩(イ・バンソク)が世子に! 建国に奔走した神懿王后韓氏(第1夫人だった)の生んだ王子たち、特に五男の李芳遠(イ・バンウォン)はその仕打ちに激しく反発し、1398年に反乱を起こしました。(第一次王子の乱)。 1396年に神徳王后康氏が40才という若さで病死したため、世子を守る重臣たちの結束が弱まったため、反乱が起こったとされています。 芳碩(バンソク)と功臣鄭道伝(チョン・ドジョン)が五男の李芳遠に殺されてしまうと、李成桂は芳遠の奨める次男の李芳果(定宗チョンジョン)に譲位し、退位。 李氏朝鮮王朝の2代目の国王、李芳果(イ・バングァ)は、四男の李芳幹(イ・バンガン)が反乱を起こす(第二次王子の乱)により乱を鎮圧してくれた李芳遠に王位を譲位します。 李芳遠は定宗から王位を譲位され即位し太宗(テジョン)となるのです。 李成桂は自分の息子達の争いに嫌気がさし咸興に引きこもって仏門に帰依。 1408年、74歳で薨去しました。 神徳王后康氏の墓(御陵)は都の外へ移された後破壊されその墓石は橋の修理に使われ民がこれを踏みにじると言う酷い侮辱を受けました。 庶民以下の粗末な墓になり、後宮に降格となりましたが、1669年に王妃としての位に復位し、御陵も再建されました。

朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代前期

韓国には「三大悪女」という番付をもつ実在の人物たちがいました。 チョン・ナンジョン チャン・ヒビン その最後を飾るのはチャン・ノクス 韓国時代劇!朝鮮3大悪女[チャン・ヒビン]主演キム・ヘス おすすめ韓ドラ女人天下朝鮮3大悪女 韓国ドラマ人気時代劇王妃チャン・ノクス ~宮廷の陰謀~ 朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代前期は、暴君として有名な朝鮮王朝第10代王・燕山君が登場します。 燕山君は、ヨンサングンと読みます。 生年月日は、1476年11月23日 – 1506年11月20日で、在位:1494年12月29日(1495年1月25日) – 1506年9月2日(9月18日))。 母は廃妃尹(ペビユン)氏(斉献王后(チェホンワンフ))。 生母尹氏は、成宗(ソンジョン第9代国王)の最初の王妃であった恭恵王后・韓氏(コンヘワンフ・ハンシ)が1474年に死去すると1476年に正妃の位に登りました。 その3年後に王妃から嬪の位に降格され、さらには成宗の顔に傷をつけたため、1482年、王命により賜薬(死薬)を下され28歳でこの世を去りました。 その後、長男であった燕山君は、1483年に7歳で王世子に冊封されます。 1494年成宗が薨去すると、同年12月29日に18歳でそのまま王位に。 王妃は居昌愼氏(コチャングンシン氏)。 即位当初は、学問を奨励した成宗時代の気品と秩序は維持されていました。 燕山君は貧民を救済して、「国朝宝鑑」など多くの書籍を編纂し、女真族などの外勢の侵略を阻んで城を築くなど、安定した政治を行ったとされています。 しかし治世4年後から燕山君は恐ろしい暴君となって行きます。 燕山君は3度にわたって功臣に対する粛清事件を引き起こしたのです。 原因は、戚臣の任士洪(イム・サホン)と宦官(内侍)の金子猿(キム・ジャウォン)がそそのかして、生母尹氏誅殺に関係した者を捕らえて処刑しています。 引用:韓国映画「チャン・ノクス」 この事件は、甲子士禍(こうししか・カプチャサファ・갑자사화)と名付けられ燕山君のなき母尹氏の復位問題から起りました。 賜死事件に関連した多くの要人が死刑、流刑に処されました。 貴人鄭氏と貴人厳氏の2人は燕山君に殺害されています。 勲旧派の巨頭・韓明澮(ハン・ミョンフェ)もこの時「剖棺斬屍」(ぼうかんざんし、刑罰の一種として既に死んだ人間の罪を問い、墓を暴いて屍を斬り刻むというもの)に処されました。 生母尹氏の賜死を実行した張本人であり燕山君の祖母でもある仁粹大王大妃(インスダイオウテビ)も同年1504年の5月に燕山君からの激しい虐待を受け死去しています。 燕山君は1506年(燕山君12年)9月2日に朴元宗・柳順汀らによる宮廷クーデター(中宗反正)により王位を剥奪、そして燕山君に封じられ、およそ3か月後に流刑先の江華島で死亡しました。 この時任士洪、金子猿、更に燕山君の寵姫である張緑水(チャン・ノクス)は反対勢力の手によりそれぞれ斬首刑となっています。 王の男~朝鮮王朝の「ネロ」、燕山君(ヨンサングン) : charisma moon news&photographs 引用:王の男 また正妃慎氏(シン氏)も同時に廃位され、残された王子たちは全て処刑。 更に王女たちは全て奴婢にされてしまいました。 実父は、愼承善(シン スンソン)、王子は廃世子煌(ペ セジャ ファン)と昌寧大君(チャンニョン テグン) 他。 居昌郡(コチャングン)夫人に降格。 イ・ドンゴン/イ・ユン(燕山君)役|ふくにこ韓スタ☆韓国ドラマ・アジアドラマ 引用:7日の王妃

朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代中期

朝鮮王朝の中期には、女性が活躍します。 活躍と言っても悪い人と言うことで後世に名をのこしています。 代表としては、チャン・ヒビンでしょう! 張禧嬪(チャン・ヒビン) | salon de snow チャン・ヒビンは「朝鮮3大悪女」として名を連ねています。 しかし、本当にチャン・ヒビンは悪女だったのかというと意外とそうではなく、「トンイ」のほうが悪女だったとの考察をされてる方も多くいるのも事実です。 チャン・ヒビンを愛した王様は、第19代国王粛宗です。 第20代国王景宗の生母となり、平民出身の王妃となりますが、後に降格してしまい挙句の果てに1701年11月9日、張氏は粛宗から賜薬により処刑されてしまいました。 享年42歳。 王の絶大なる寵愛を受け、王子まで産んだチャン・ヒビンがなぜここまで落ちてしまったのかというと、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の存在がとても大きかったと考えられます。 粛宗は、水汲みなどをしていた淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏に心を奪われてしまいます。 トンイとチャン・ヒビンが世を去った後に息子たちはどうなったか|スポーツソウル日本版 引用:トンイ そのころ一度は廃妃された仁顕王后(イニョンワンフ ミンシ)が34才の若さでこの世を去ります。 そして、死の40日後に淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が王に告発をするのです。 その内容は、チャン・ヒビンが、仁顕王后に呪いをかけようと呪詛を行ない、神堂を建てて怪しげな祈祷師たちと祈祷を続けた等という内容。 この告発によりチャン・ヒビンは死罪になってしまいます。『トンイ』では第55話。 淑嬪・崔氏は、1694年の秋に粛宗の息子を産んでいます。 後の21代王・英祖(ヨンジョ)です。 王の生母ではありますが、仁顕王后が亡くなったあとの王妃の座にはついていません。 粛宗は淑嬪・崔氏を昇格させないで、新たに仁元(イヌォン)王后を正室に迎えたのです。 粛宗は急に淑嬪・崔氏に冷たくなり王宮の外に出してしまいました。 1718年に淑嬪・崔氏が亡くなり、1720年に粛宗が世を去ります。 王世子である張禧嬪の息子が景宗(キョンジョン)として即位。 しかし、景宗(キョンジョン)は、子供がいない状況の中、病で亡くなったため、淑嬪・崔氏の息子が即位となったのです。 やがて、1735年に後の悲しき米びつ王子思悼(サド)世子が生まれます。

朝鮮王朝(李氏朝鮮)後期

朝鮮王朝後期のドラマの代表は、なんといってもイ・サンです。 イ・サンは、英祖の息子「思悼(サド)世子」の息子でサン(第22代王・正祖:チョンジョ)が主人公のドラマです。 王位継承者であった父が何者かの陰謀によって謀反の濡れ衣を着せられ、 祖父である第21代王・英祖(ヨンジョ)によって死に至らしめられるという経験をもつイ・サン。 父荘献世子は、老論派の陰謀で米びつの中で餓死をしました。 イ・サンは、親を助けられなかった無念を胸に英祖の長男「孝章世子」の養子となります。 老論派の諸臣が 「罪人の息子は王になれない」と主張したからです。 やがて1776年英祖が薨去した後、25歳で即位。 正祖は即位式に集まった人々に「余は思悼世子の息子である」と宣言しました。 頭脳明晰な側近ホン・グギョンの支えもあり、父の遺言「聖君になれ」という言葉を胸に抱き王として成長を遂げていきます。 一方「トキメキ☆成均館スキャンダル」も同じ時代背景です。 内容はとても重厚でありながらもタイトルがラブコメになっているので、残念です。 第22代王・正祖(チョンジョ)のもと、文化や学術が華麗に花開いた時代が舞台となります。 華やかな王朝の陰では、政治派閥の老論(ノロン)と少論(ソロン)の派閥争いが激化していました。 老論派の攻勢という難しい逆境を乗り切って王権を強化するためにさまざまな改革に着手 1800年、病が悪化して49歳で予期せぬ死に倒れ、正祖(チョンジョ)が推進してきた改革の大部分は無に帰してしまいました。 正祖(チョンジョ)の死後、朝鮮では外戚家門の安東金氏(アンドンキムシ)が権力を握る勢道政治が展開していきます。 勢道政治とは、王の信任を得た人物あるいは集団が政権を独占的に担う状態を指します。 イ・サンの子・第23代 純祖(スンジョ)から第25代哲宗(チョルジョン)まで続きます。

朝鮮王朝(李氏朝鮮)末期

「雲が描いた月明かり」のパク・ボゴムさんが演じた主人公は、孝明(ヒョミョン) 世子をモデルにしているといわれています。 雲が描いた月明かり | TVO テレビ大阪 朝鮮王朝第23代王となった純祖(スンジョ)の時代です。 孝明世子(ヒョミョンセジャ)は、イ・サンの息子純祖の長男で摂政を務め、正祖の孫にあたります。 孝明世子は1812年、3歳で王世子に冊封されます。 安東金氏による勢道政治に危機を感じた父王・純祖が、豊壌趙氏(プンヤンチョシ)を重用して安東金氏に対抗させようと、11歳になった孝明世子と豊壌趙氏一族の趙万永(チョ・マンニョン)の娘と結婚させるのです。 1830年、孝明世子がわずか21歳で逝去。 父王・純祖の死後、孝明の息子(憲宗)が第24代王となりました。 孝明世子の死によって安東金氏が復活してしまいます。 憲宗が7歳で王に即位したために王が14歳になるまで、祖母である大王大妃・純元王后(スンウォンワンフ キムシ)が垂廉聴政を行うことに。 純元王后が世を去る1857年まで安東金氏の天下が続き、政治は腐敗し、民は苦しめられました。 やがて、「明成皇后」で描かれているように、朝鮮王朝はグラグラと崩壊の一途をたどります。 パク・シフ現在韓国で放送[風と雲と雨]主役の二人は実在する人物? 韓流 明成皇后 第59話 (字幕版) フル動画| 【初月無料】動画配信サービスのビデオマーケット 楽天vikiでは多くの韓国時代劇が配信されています。 「楽天viki観たいけどまだ観れてない」と言われる方は、こちらのページを参考にしてください。 丁寧に優しくサポートしています↓ 【カンタン】surfshark VPNインストール方法〜袖先赤いクットン観れるまでサポート

さいごに

今回は、韓ドラ時代劇でよく登場する、朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代について、史実を基に解説をしました。 時代背景が解って観るとドラマに深みがでて、理解度も高まるのでより楽しく観れるのではないでしょうか? 最後までお読みいだだきありがとうございました。 また、twitterでお会いしましょう♡ 現場からかよよんがお届けしました。 twitterアカウント@kayoyon18 遊びに来てくださいネ。 参考にした本↓↓ Amazon中古2,867円 韓国時代劇歴史大全2021 (扶桑社ムック) 朝鮮王朝の歴史を楽しむ韓国時代劇ドラマ (ぴあ MOOK) 1,540円
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